SMを始めたての人というのはどうしても形や技術に目が行きがちです。たとえば縛り方なんかはいろいろな種類がある上に、芸術性も高いためついついそっちの勉強をしてしまいがちです。
それはそれで間違ってはいないのですが、SMプレイに一番大事なものを忘れてしまっては本末転倒です。
ではなにが一番大事なのかといえば…それは「愛情」です。
そう聞いて、どこかこっ恥ずかしさを覚える方もいるでしょう。しかし、私は断言します。愛情こそがもっとも大事なエッセンスだと。
なにもここで言う「愛」とは、永遠の愛を誓う…夫婦のような愛とはまた違う形の愛です。相手を思いやる気持ちが愛情になるのです。そういった意味では、SMプレイ専門店の女王様は愛に満ちあふれているといえるでしょう。
もし愛情がなければどうなるか?それはただの「いじめ」であり「暴力」にしかなりえません。一方通行である以上、相手に不快感を与えてしまいます。
愛があるゆえに、その愛の表現として「虐める」のであり、愛情の確認そしてそれをさらに増大させる手段や行為としてのSMなわけです。私は貴方のすべてを認めて、私の全てを認めてもらいたい。そういった深い愛情があるからこそ、自分のもっとも恥ずかしい姿までをもさらけ出すことが出来るわけですね。
そしてSMプレイと聞いて真っ先に思う浮かぶことは目隠しであったり、手足の拘束だったりします。なぜそういった行為がSMの代名詞となっているかといえば、きちんとした理由があります。
まず、目隠しは視界を奪うもの。手足の拘束は行動の自由を奪うもの。そして相手に委ねるという行為です。極論ですが、そういったプレイを始めた後に相手が包丁を持って近づいてきた場合、こちらは殺されるしかない。大げさにいえば生殺与奪権を相手に握られるという状況なわけです。
それは相手を信頼してるという気持ちを、形に表す行為になるのです。
そして拘束される側の行為にも意味があります。自由を奪われて相手にされるがまま…。普通に考えればそれはストレスではありますが、ストレスがあるからこその気持ちよさがあります。それは解放された瞬間ですね。
拘束があるからこそ解放がある。ストレスがあるからこそ快楽がある。SMプレイというのは後者を強く得るための前準備であるとも言えます。そういった意味でも、真のSMプレイの気持ちよさを知ることができるのはMのほう…ということが言えるかもしれませんね。
SMのSはサービスのS。Mは満足のMという言葉がありますが、まさに言い得て妙ですね。